言語の否定=その人すべての否定

「わたしを本当に傷つけたいと思うなら、

わたしのことばを罵ればいい。

民族的アイデンティティは、

言語的アイデンティティと表裏一体なのだから。

ことばは、わたし自身

自分のことばに誇りを持つことができないかぎり、

自分自身に誇りを持つことなんて、できない。」(Anzaldua, 1990, P.39)

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チカーノ文化やフェミニズムの研究者でもあり、
詩人としても活躍していた、Gloria Anzalduaのことばです。
(”How to Tame a Wild Language” 1990。
インターネット上でも読むことができます。)

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最近、オランダ人の旦那さんをもつ知人が、
「家庭内で子どもたちと日本語を話すな」と
言われたそうです。

話を聞いただけの私も、
胸をえぐられるような思いがしました。

Anzalduaの文章にもあるように、
ことばは、その人自身です。
その人が、その人らしくあるために必要不可欠です。

特に海外在住のマイノリティにとって、
ことばを否定することが、どんなに暴力的で、
相手を傷つける行為なのか、多数派側の
人間には、きっちり理解してほしいと思います。

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「人権としての言語権(Linguistic Human Right)」
という言葉もあります。

国際人権B規約(1966年)においても、
マイノリティが自己の言語を使用する権利
認められています。

外国に移住したら、現地の言語しか話してはいけないのでしょうか。
母語を捨て、自分自身を捨てなければならないのでしょうか。

そんなことは、決してありません。

もちろん、現地の言語を学ぶ努力はしたほうがいいと思いますが、
母語を使う権利は、人間としての権利です。
(詳しくは、Skutnabb-Kangasの著書や論文をご参考ください。)

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海外で生活する、日本語母語話者の皆様、
どうぞ胸をはって、日本語を使ってください。

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